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西条八十と西洋石鹸のポスターと

●西条八十という天才作家は、石鹸製造業、輸入石鹸販売店の生まれだった。

西条八十が書いた文章、童謡の作詞は、誰でも知っている詞がいくつもあります。

昭和中期の角川映画、薬師丸ひろ子主演の「人間の証明」で、CMになった有名な詩がありました。

帽子  西條八十 作詩

母さん、僕のあの帽子、どうしたでせうね?
ええ、夏 碓井から霧積へ行くみちで、
渓谷へ落としたあの麦稈帽子ですよ

母さん、あれは好きな帽子でしたよ
僕はあのときずいぶんくやしかった
だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから
母さん、あのとき、向こうから若い薬売りが来ましたっけね
紺の脚絆 に手甲をした
そして拾おうとして、ずいぶん骨折ってくれましたっけね
けれど、とうとう駄目だった
なにしろ深い谷で、それに草が
背たけぐらい伸びていたんですもの


母さん、ほんとにあの帽子どうなったでしょう?
そのとき傍らに咲いていた車百合の花は
もうとうに枯れちゃったでしょうね、そして
秋には、灰色の霧があの丘をこめ
あの帽子の下で毎晩きりぎりすが啼いたかも知れませんよ


母さん、そして、きっと今頃は、今夜あたりは
あの谷間に、静かに雪がつもっているでしょう
昔、つやつや光った、あの伊太利麦の帽子と
その裏に僕が書いたY・S という頭文字を
埋めるように、静かに、寂しく


この詩が大変ミステリアスで、人間の証明は、若き薬師丸ひろ子の愛らしさとともに、大ヒット作となりました。
この詩が、西条八十の書いた詩です。

西条八十は、1892年に東京の牛込で生まれました。
家は江戸時代から続く質屋でしたが、父、重兵衛の代で石鹸製造業に変わりました。
住み込みの徒弟40人以上を抱え、石鹸製造だけでなく、外国の輸入石鹸の販売も手広く営んでいました。
西条八十が幼い頃から大好きだったのが、外国の輸入石鹸を買ってくれた人に景品で付けてあげるマッチに貼りつけてある、
外国の美しい景色を見ることでした。
そうして、西条八十は、芸術的な 文才を開花させていったのです。

外国が大好きになった西条八十は、5、6才頃から英語に堪能な番頭に手ほどきを受けていました。

その後、西条八十は、1924(大正13)年から2年間ソルボンヌ大学に留学し、帰国後、早稲田大学仏文科助教授となり、1931年に教授となりました。

英仏書を読みあさり、H・G・ウェルズの大ファンだったということです。

西条八十が、童謡の歌詞として作詞した名曲の詞は数多くあります。

「かなりや」〜抜粋 唄を忘れたカナリヤは、
うしろの山にすてましょか
いえ、いえ、それはなりませぬ


「肩たたき」〜抜粋 母さん お肩をたたきましょう タントン タントン タントントン

「毬と殿さま」〜抜粋 

てんてんてんまり てんてまり
てんてんてまりの 手がそれて
どこから どこまでとんでった
垣根をこえて 屋根こえて
おもての通りへ とんでった とんでった  

何度も歌ったことのある名曲ばかりです。

その他に、西条八十は、歌謡曲でも名曲の詞を作り、成功しています。
有名な曲は、「蘇州夜曲」、「東京音頭」、「青い山脈」、「誰か故郷を想わざる」などです。

1970年(昭和45年)に没しましたが、長男の西條八束さんは陸水学者(2007年没)で、長女の西条嫩子さんは童話作家、詩人、 孫の西條八兄さんはエレキギター製作者と、各分野で活躍されています。

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参考文献:
     
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